Step into stars





『今夜、君に魔法を見せてあげる』


「………ったく、バチこきやがってあのヤロー」
悪態をついたところで当人が来ていないと言う現状には変わりがない。予定時間を大きく過ぎた時刻を示す時計を苛立たしげに眺めながら、私、大野内 妙(おおのうち たえ)は、待ち合わせ場所に指定された丘の上で、本日何回目か分からない溜め息をついた。
そもそも、誘い文句からして怪しかったのだ。しかも言った相手すら、実は怪しい対象だったのだ。
市ヶ谷 風太(いちがや ふうた)。
彼のクラスでのあだ名は《ペテン師》《ストーリーメーカー》《洞穴風太(もちろん、洞はホラ、と掛詞になっている)》だという。と言うのも、この誘いを受けた後に聞いた話だったので、誘いを受けた時にはそんな事は知る筈もなく、その人辺りの良いと言うか、思わず抱き締めたくなる愛玩動物的美少年っぷりに呆然としながら、意識半分で承諾してしまったのだ。
しっかし………。
「………明らかに怪しげな誘い文句じゃねーか」
何が魔法だよ。精神年齢は外見年齢と一緒らしいな。
そしてよく私も受けたもんだ。乙女回路ではなく少女回路が私の中に存在していた事がまず驚き。わぁたえちゃん、貴女の魔法を信じるお年頃はまだ続いてたのですねぇ?
………冗談きっつ。
けど………。
「………でも、あの目はマジ、だったよな……?」
意識半分で見たあいつの目は、紛れもなく真剣そのもので、茶化すようなものではなかった。まぁ本気だったとしても、魔法なんて非現実的なものを口に出されると、萎えるのが通常の人間心理だとは思う。それだけに、断らなかった自分が情けないやら恥ずかしいやら。
「………」
私はもう一度伸びをした。空には満天の星と、月。雲一つない、天体観測日和。それはそれで魔法を使ったかのように綺麗な風景だ。
「………まさかな」
この風景を見せたいがためにここに呼び出した、なんて事はないよね………。
「………あほらし」
時計を見直し、待ち合わせから三十分近く経ったことを確認した私は、何だか馬鹿らしくなって起き上がり、家に帰ろう、帰ってあの男はほら吹きだ、約束したのに来やしないなどと悪口の三つくらい考えようと思いながら、足を踏み出した。

私の足は空を切っていた。

「………え?」
………あれ?
今、私何処に立ってる?
今さっきまで、確かに丘の上に立っていたはずなのに。
………っていうか、下を見たら見覚えのある風景と、ケータイと財布を入れた私の手提げ鞄が。あのまま帰ってたら間違いなく忘れてただろうな………じゃなくて!

「き、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

私の体は宙に浮いていた。

※※※※※※※※※※※※※

「何!何!何が起こってんだよぉ!何で下に地面が!ってきゃあああっ!スカートめくれてる!見んな!見んなぁぁぁっ!」
位置的、光量的に誰も私のスカートの中身など見られる筈もないのだが、完全にパニクった私にそんな理屈は無意味だった。
空中で回転しながら必死で両手でスカートを押さえようとする私。何と情けない光景だろう。
そうこうあたふたしている内に、地面がだんだんと私の視界から遠ざかっていく。私の体がだんだんと空へと昇っているのだ。
本来だったら気絶でもしても良さそうな状況。恐らく気絶しないのは私のパニクりようが尋常じゃなかったからだろう。
「………さん?」
だから、
「……えさん?」
当然、
「……妙さ〜ん?」
目の前で、
「……た〜えさ〜ん?」
パニクっている姿を見て困惑している少年の存在に気付く筈もなく――。

「た〜え〜さ〜ん!」

突然耳元で叫ばれ、私はスカートを押さえていた手を反射的に耳に置いた。
スカートが捲れ上がるかと思いきや、押さえる必要がない、重力にその身を委ねている状態だった。
………へ?
ようやくここで私はおかしさに気付く。
現在この場所は丘の上ではないのは確かだ。いや、丘の上、ではあるのだけど少なくとも丘の地面に足をつけているわけではない。
で、先程まで私は自由回転していたわけで、宙に浮いているのは確定なわけで。
で、そんな摩仮不思議アドベンチャーな状態にいる私に対して、どうして耳元で叫ぶなんて芸当が出来た?
私は声のした方を向き―――

「やっと気付うぐっ!」

―――人物を確認した瞬間、その首を絞めた。
乙女心をもて遊んだ罪は重い。

※※※※※※※※※※※※※

「ごめんごめん。ちょっとサプライズ狙ったんだ〜」
カウント30の後、首を絞める手の力を緩めた私が、最初に聞いた風太の言葉は、反省と誠意とを切り刻み混ぜて化学反応させたものには到底思えない、軽やかな台詞だった。
「……サプライズにも程があんだよ!」
やられた当人としては、何が何だか分からぬままに空中浮遊だ。命の危険やらその他もろもろの危険でパニクって当然だろう。
「それに待ち合わせ時刻をかなり過ぎてんだろうが!サプライズやるなら時間計算をきっちりしろよ!そもそも待ち合わせは五分前集合が原則だろうが!」
「あは〜、魔法発動までの時間計算を完全に忘れてたよ〜あはは〜〜」
つまり、この外見年齢=実年齢−五・六歳の男は、私を待たせたまま裏方であーだこーだ、あれ、おっかし〜な〜魔法が発動しないな〜あはは〜とかやっていたわけで。
怒りを通り越して呆れた(さっきのパニックで怒る体力の大半を使った)私は、がっくりと肩を落とした。
「………つーか、魔法の存在自体でサプライズファクトだぞ十分………」
肩を落としたついでに目に入る風景に、私はついぼやいた。
丘どころか私の街すら、今の目線では遥か遠い。砕けた鏡を光に照らしたように輝く地面。今私は、間違いなく上空から街を眺めている。
無論、吊られているような感覚はない。それどころか、押し上げられている感覚すらない。体全体がそのまま、上空に来てしまった感じだ。
これを魔法と言わないで、何と表現できるだろう。もしかして、私の知らないところで科学は凄まじく発展して、新技術もことごとく開発されているのかもしれない。が、なら少しは耳さとい学生の耳に入っても良さそうなのだけど。
寧ろ、そんな技術が完成しているのなら、とうにマスメディアに知れわたっている筈。『新時代の到来!』だとかありきたりのテロップと共に。
風太はそんな私の呟きを聞き、少し声の調子を落として言った。
「魔法自体は、辺りに溢れてはいるんだけどね。それを使える側が減少しているだけで」
「はぁ?」
私はいぶかしげな目線を風太に向けた。
「昔はもうちょっといたんだよ。僕の家みたいな、魔法使いの家系が」
「へぇ…………ん?ちょい待て」
…………今聞き捨てならない一言が聞こえたぞ。
「何〜?」
「…………今、僕の家みたいな魔法使いの家系、つったよな?」
「うん」
自分でも馬鹿げた質問であるとは思うが、聞かずにはいられない。
「つー事は、お前の親も、その親も………魔法使い?」
「うん」
私は目の前がくらくらする思いがした。今だったらどんな超常現象も信じてしまえそうだ。
「ついでに…………」

「君も、ね」

…………え?

「いやぁ正直ここまで魔法が効くとは思ってなかったんだよね〜。精々地面から10mのところで止まるかと思ってたんだ〜」
あはは〜と、ぽややんとした口調で話す風太。
「ところがさ〜、かけたらどんどん上がってくんだもん。初めて'thgilf'をかけられて、上空50mまで上がったのは今までで妙さんだけだよ〜?」
足元の視界をもう一度確認する。100万ドルの価値があるかは兎も角、綺麗な夜景は広がっている。上空10m程度ではそうも広く見渡せないだろう。
「ここまで上がるのは、きっと妙さんの中に魔力が――しかもかなりの量――眠っていて、それに触発されたか、あるいは元々魔法にかかりやすい体質か。いずれにせよ、魔法使いの素質はあるよ。僕が保証する」
ニコヤカに胸を張って、風太が喜ばしげ、あるいは誇らしげに話したけど………。
「…………保証する、つってもなぁ………」
そう両手を挙げて喜ぶようなものでもない。魔法使いなど、一歩どころか半歩すら間違えば、唯の痛い人だ。それに、科学全盛のこの時代、魔法で何が出来ると言うのだ。
「………あんまり嬉しくなさそうだな〜」
少しがっかりした調子で風太は、肩を落としながら溢した。そしてそのままいじけ始めた。
「………そりゃそうだよね。魔法なんてこの世界ではイレギュラーだし、魔法使いなんて口に出した瞬間痛い奴だし、場所によっては悪魔として狩られるしね。ただ自然と一緒にいるだけなのに、ただわけが分からないと言う理由だけで、どこまでも人は残酷になれる………」
自覚してたのかい。と言う感情も沸くけれど…………風太、外見は可愛い。いじけている様が、私の奥底に眠っていたであろう母性本能を、拷問に近い勢いで擽った。何とか耐えようと深呼吸すること三回。
「………」
本能には勝てなかった。
私は無意識のうちに風太に近付き、頭を撫でようと手を差し出していた。
反則だ、この可愛さ。

はし

「あ″?」
思わず声を濁らしてしまったが、そんな事よりも。
風太が、私の手首をはしっ、と握り締めている。差し出したのは利腕の右だが、風太は左手で、手の甲に手を被せるように握ってきたのだ。
「…………そう言えば、まだ見せていなかった風景があるんだ」
「へ?」
手首を強く引かれる。
「魔法を使える人だけが見られる'銀幕の水晶宮'、そこに君を招待するよ」
「は?え?ちょ」
はたはた、ばたばた、と音が聞こえる。風太の服が風にはためいている音だ。私の長い髪も、風にあおられてその身を踊らせている。
風太は指揮棒を振り上げるように右手を上げ――
「さぁ、レッツゴー!」
――声と同時に飛び上がった!
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ピーターパンの夜空の散歩のような、一緒に飛んでいるような感覚ではなく、ただ一方向に引っ張られるように私は、星空を駆け抜けていった………。

※※※※※※※※※※

「わぁ………………」
風太に右手を引かれながら見た景色は、(当たり前だが)私にとって未知で、それでいてどこか本能的な懐かしさを感じさせて――でも、何より、綺麗だった。形容詞を付けることすら、その美しさを軽く見てしまうのではないかと思えるほどに。
地上で見る星のような、単色で味気無いそれではなくて、赫、蒼、翠、他様々な色の星々は、私たちの道筋を照らす光となっていた。しかも、ただの光ではないのだ。
光の一つ一つが私に語りかけて来る。
光の一つ一つが私の心に触れてくる。
そんな不思議な暖かさ――この時、確かに私は暖かさを感じていた――を持つ星の光達。
彼等に導かれるように滑空する私達を待っていたのは――

「ここが'銀幕の水晶宮'だよ」

幾束の言葉を使い果たしたとしても、この光景の素晴らしさ、そこに囚われてしまった私の心を表すことなど出来はしないだろう。
床、壁、天井、ランプ、燭台etcetc全てが水晶で出来ているそれは、ガラスのような脆さ、儚さにも似た美しさ、幽玄を感じさせると同時に、全てを見透かし、受け入れてしまうような包容力すら感じさせていた。
紅玉、黄玉、蒼玉、色とり取りの宝石が、蛍のように明滅するもの、きらびやかな光を放つもの様々に、宮殿を照らしていた。
そして、宮殿を覆うように一面に張り巡らされた銀幕は――

「オーロラ………」

虹色の幕の下にある水晶宮。文字にしてしまえば味気無いだけだけれど、目の前に広がる風景は、文字にすることすら許されない何かがあった。私の表現能力の無さが恨めしくなる。
手を繋いでいる風太が何かを聞いてきている。たぶんさっきと同じ事だろう。魔法使いになる事にはまだ抵抗はある。でも、この景色をまた見られるなら―――。





――貴方は、魔法を信じますか?――





街角でこう聞かれたとき、貴方ならどう答える?





私は――。





――私は、信じてる――




fin.



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